9日目 6月9日(木)

帰港:竹芝桟橋
地図

かめりあ丸からの連絡

全員無事、帰港いたしました。

洋上だより

洋上小学校をふりかえって
「1番美味しかったごはん」
僕が、かめりあ丸で食べた中で1番美味しいと思ったのは6月6日の中華バイキングで食べたラーメンでした。メンマやスープがとてもおいしかったです。僕は、ラーメンがとても好きです。でも、こんなに美味しいラーメンを食べたのは、久しぶりだったので食べられてよかったです。船員さんの方々美味しいラーメンを作って下さり、ありがとうございました。

「美味しいものベスト3!」
今日は、今までで一番美味しかったご飯ベスト3を紹介します。まず、おかずです。第三位、六月五日の昼食の冷やし中華です。五島うどんを使っていたのでとても、もちもちしていました。第二位、大人気のわんこそばです。手軽な大きさで食べやすかったです。そして、第一位、こちらも大人気だったジャーマンポテトです。
続いて、甘いものです。第三位、フルーツ沢山のフルーツポンチです。第二位、毎回違うゼリー系です。そして、第一位は、一部の人に大、大人気だったあんまんです。これは、温かい内に食べないと絶対に損だと思います。こういう、とても美味しい食事を作って下さった司厨士の方々に感謝したいです。

「HPプロジェクト」
私は、ホームページプロジェクトでした。ホームページプロジェクトはその日の出来事を便せん1枚に下書きして、それを手直ししてパソコンに打つプロジェクトです。内容は洋上に行く前に分担しました。全部で7人でそのうちの4人がテーマが決まっていて3人が日誌です。私はいつも日記を短くしています。
ホームページプロジェクトの大変だった所は、船の1番下の窓のない所でやるので酔うことです。いい所は、パソコンを打つのが速くなるのと、楽しいことです。他のプロジェクトとは少し違うプロジェクトど9日間楽しかったです。

「みんな必死に」
HPプロジェクト。それはその日の情報を一早く伝えるプロジェクトです。原稿を書き文章を打ちます。正確さと早さが求められるプロジェクトです。毎日仕事を行うのは大変です。しかし、HPプロジェクトは全員、「今日中にHPに載せるんだ。」と思い頑張りました!毎日見てくれてありがとうございました。

「航海術」
僕の、洋上小学校の思い出は、1等航海士の加藤さんに航海術を教え頂いた事です。
たとえば、今船がどこにいるか知る方法や、船と船がぶつかるか知る方法を、教えて頂きました。洋上に行かなかったら、知る事が出来ないので、いいことを教えていただきました。ありがとうございました。

「心に残った歌」
ぼくは、この洋上小学校で心に残ったものがあります。それはリーダーが作ってくれた「遥か」の替え歌です。この歌はリーダーが夜中までかかって作ってくれたのでとてもうれしいです。僕は一番好きなのは、最後のところです。なぜかというとその歌詞がいいからです。この歌を覚えていつまでも洋上の事忘れないでいたいです。そしてこの歌を作ってくれてありがとうございます。

「洋上の思い出」
この洋上小学校の思い出は、クラブ活動です。私は、機関士見習いクラブでした。なぜ、クラブ活動の事が心に残ったかというと大きな冷蔵庫の中に入ったり、船の心臓といわれる機関室に入ったからです。大きな冷蔵庫は、冷たかったし、機関室は、暑かったです。

8日目 6月8日(水)

寄港地:新宮港
地図

かめりあ丸からの連絡

6月8日(水) 8日目 (午後5時30分現在)

天候: 朝のうち小雨だったが終日くもり。すごしやすい気温。
午前・午後の活動: 和歌山県新宮港に午前8時着岸。
下船後、歓迎セレモニーを受け午前8時30分出発。
世界遺産の熊野古道を歩く。午後5時30分帰船。 今夜は、船上さよならパーティーを予定。
楽しみにしていたイカ釣り2回目は中止の予定。
児童の様子: 朝食は半数ほどの出席だったが、全員下船しバスの中でおにぎりをペロリとたいらげる。
波の様子: 昨夜はものすごく揺れた。今夜も揺れるとのこと。

洋上だより

寄港地
熊野
「マイナスイオンを浴びながら」
「着いたあ。」
今日は、和歌山県の熊野に上陸でした。ぼくが期待していたのは、とても空気がおいしいことです。着くと、本当に自然がたくさんあり、とても空気がおいしかったです。
もう一つ楽しみだったのは、那智の滝です。滝は、水しぶきがとても気持ち良く、とてもすっきりした気持ちになりました。熊野は、他の寄港地とは違い、自然が沢山あり、良かったです。

「歩ききった先にある物」
まず熊野古道を歩きました。これを歩き切るのに二時間以上かかります。最初は、山の中を歩いてそれをぬけるとずっと村の道を通ります。最後はまた山の道を通り大きな神社があってみんなお参りしました。ぼくは熊野古道を山道だけだと想像していたけどちがってびっくりしました。でも歩き切った時はとてもうれしかったです。

船内活動
さよならパーティー
「乾杯」
洋上小学校最後の夜ご飯がスタートした。
今日は、洋上小学校8日目。夜にさよならパーティーが始まった。船員さんと一緒に食事をし、「今までありがとう。」の気持ちを持って食事をする。パフォーマンス大会や、○×ゲーム等を楽しみました。最後に小さな船員(児童)から「船員さんありがとう。」

「さよならかめりあ丸」
今日は、さよならパーティーが夕食の時にありました。パーティーの途中には、パフォーマンス大会もあり、とても盛り上がりました。
その後には、瀬戸大橋通過時刻予想クイズの上位10名の発表がありました。僕は、10位だったので海図や、レジャーシート塚田さん手作りのストラップなども頂きました。9位なら水筒も貰えたのに残念だなあ、と思いました。でも賞品がもらえてよかったです。

航海日誌
「ひたすら階段」
今日、熊野古道を歩きました。少し雨が降っていました。ものすごく階段が多くて坂も急でした。水たまりが沢山あって何回も入ってしまってぬれました。熊野古道はとにかく大変な第1印象でした。そしてその後那智の滝に行きました。滝の近くに行くのに階段を470段も登りました。すごく大変だった分きれいな滝でした。神社でお参りもしました。これで最後の寄港地なので淋しいです。

「大変だった熊野古道」
今日は、熊野古道を歩きました。船を降りてバスに乗りました。まず、発信門王子に降りて、歩きました。最初は、たったと歩けました。途中、休けいをしました。どんどん歩いて行くうちに、つかれていました。暑くなってしまったので、レインウェア-を脱いで、歩きました。やっと登り終わりました。

「大揺れ」
今日の朝から船がかなり揺れました。
揺れは、いつもの横揺れでなく、上下に揺れました。
今日初めて酔いました。
そして、新宮港からでた瞬間、今日の朝位揺れ、夜ぐらいまで揺れ続きました。
揺れましたが、大分、揺れに慣れました。

7日目 6月7日(火)

寄港地:宇品港
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かめりあ丸からの連絡

6月7日(火) 7日目 (午後12時30分現在)

天候: 朝のうち小雨。現在、くもり。
午前の活動: 広島宇品港を午前8時出発。
広島平和記念資料館、原爆ドームを見学。
グループに分かれ、それぞれの本場お好み焼き店で昼食。
12時30分帰船。
午後の活動予定: 広島宇品港を午後1時出航。
赤道祭(船上運動会)を予定。
児童の様子: 疲れもみられるが、元気。

洋上だより

寄港地
広島(原爆)
「資料館での学習」
今日は、広島に上陸して二日目です。昨日は船だったけど今回は路面電車で移動しました。
まず平和記念資料館へ行きました。その資料館には原爆が落とされた時の色々な道具や映像がありました。さらに進むとその時の人の様子や建物が残っていました。それに、放射能が体にどんな影響を与えるのかもわかりました。少しだけ原爆やその時の事がわかって勉強になりました。

「お好み焼きin広島」
今日は、世界遺産もある広島に行きました。広島と言ったら…お好み焼きです。お好み焼きドロップスもあるぐらいなので、広島とお好み焼きが一緒になり広島の時代を作ってきたのだなと思います。 その、お好み焼きを昼ご飯を食べました店は、「姉妹」と言う店でした。本場の、お好み焼きは麺が入っていてとても美味しかったです。東京のお好み焼きより数百倍美味しかったです。

船内活動
「大人も一緒に」
今日、午後に赤道祭がありました。種目は「目指せ!パーサー」と「目指せ!甲板員」と「目指せ!エンジン」と綱引きです。1番心に残ったのは、綱引きです。
綱引きは、トーナメント戦でやりました。私のグループは、全体的に弱かったけど、綱引きだけ4位になりました。最終順位では私のグループは5位でした。1~3位の人は飴か、広島限定ずっこけ3人組かるたをもらっていました。
悔しいけど楽しかったです。

「入ったー!」
今日、赤道際が、ありました。
赤道際とは、洋上運動会のような行事です。種目で「めざせ!パーサー」という名前の障害物競走、「目指せ!甲板員」という名前もレッドライン投げ、「めざせ!エンジン」という名前の縄跳び、綱引きです。一番盛り上がったのは、2、3位を決める船員さんのPKレッドラインなげです。
2チームとも入らず三投目一等航海士の加藤さんが決めCチームは、まるで野球でさよなら打を打ったときの、ベンチみたいな様子でした。
さすが加藤さん。ベテラン船乗りの力を見せつけました。

「もちつき」
今日は、赤道祭という船上運動会がありました。A~F対抗で行い、僕はEグループでした。Eグループは、最下位の60点で5位との差は70点もありました。
沈んだ気持ちで運動会を終わるんだと思ってた時、先生がこの後には、「餅つきがあるよ」と言われました。
餅は、船員さんたちがついて下さいました。味は、きなこ・あんこ・海苔・納豆などがありました。僕は、納豆と餅を一緒に食べたことがなかったので、どんな味なのかと疑問に思っていましたが食べてみるととても美味しかったので三つも食べてしまいました。船員さんたち餅をついてくれてありがとうございました。

航海日誌
「原爆の歴史」
今日は、広島上陸二日目で広島市外に行きました。ぼくの心に残ったのは、平和記念資料館です。そこに入って、まず目に入ったのは、原子爆弾で被害を受けた方々の写真や、熱線で黒こげになった遺品などです。ぼくはそこで、改めて原爆の恐ろしさを実感しました。そして、原爆で被害を受けた方々の事を絶対に忘れてはいけないと強く思いました。

「昼飯」
今日は、広島でお好み焼きを食べました。普通のお好み焼きと違ってそばが入っている広島焼きです。私はそばと卵が入っているお好み焼きを食べました。私は全部食べ切れないと思ったから友達と食べました。食べたとき、いつものお好み焼きよりもちょっと柔らかったです。

6日目 6月6日(月)

寄港地:宇品港
地図

かめりあ丸からの連絡

6月6日(月) 6日目 (午後6時現在)

天候: 晴れ。
午前・午後の活動: 広島宇品港を午前8時40分出発。
世界文化遺産の厳島神社など宮島を散策。夕方、帰船。
児童の様子: 宮島散策をして元気を取り戻す。

洋上だより

上陸地の活動
宮島
「仙人コースの道」
今日は広島の宮島に上陸です。厳島神社などをまわりますが、僕が心に残ったのは弥山登山です。登山は、ゆっくりコース、普通のコース、仙人コースの3つのコースに分かれます。僕が選んだ仙人コースは、ロープウェーで途中まで行き、そこから登山という流れです。しかし、登山は結構厳しい道でした。登りが急で、いつつくのか心配になった時もあったけれど、頂上から見る瀬戸内海の景色は本当にきれいでした。

「鳥居」
厳島神社に行きました。私が行った時、海水が引いていました。私のグループは、厳島神社の近くまでは行きませんでした。なぜかというと、時間があまりなかったからです。私は、厳島神社の鳥居の近くまで行きたかったです。また、家族で厳島神社の鳥居の近くまで行きたいです。

航海日誌 「食べ物あれば!」
今日は、世界文化遺産の厳島神社がある宮島に上陸しました。宮島は鹿が有名です。なので、歩道に鹿が多く、鹿のフンもいっぱい落ちていました。その鹿が利口だな!と思った時がありました。それは歩道を歩いているといつもの様に鹿がいました。すると、上にある草のために2本立ちになりました。動物でも食べ物のためなら頑張るのだなあと思いました。

「食べる紅葉」
今日広島の宮島に行きました。そこで山に登りました。私は、仙人コースで仲良しの人と一緒でした。仙人コースは頂上まで登るコースです。1番楽しかったのは、自由食で色々食べた事と、もみじまんじゅうを沢山食べてお土産として買ったことです。
初めて食べたもみじまんじゅうはものすごくおいしかったです。あんなに種類があると思いませんでした。

「葉の影から」
今日、広島の宮島にある、弥山に登りました。
今日なぜこの事を書こうと思ったかというと、初めて、生で、ヘビを見たからです。
登っていくと、岩のあたりから、「カサカサ」と音がしたので、岩を見ると、葉の影から、茶色いトカゲに似た頭が見えました。足がなく、長かったので、ヘビだな、と思いました。生でヘビを見て、驚きました。

「不思議な写真」
今日は、広島の宮島に上陸しました。そして、厳島神社に行きました。その時は門に入れないので、建物の中に入りました。
そして下を見ていたら少し潮が引いていて、その中にはカニが20匹以上いました。
カニの多さに、とても驚きました。そして一番、潮が引いていたときもう一度行ったら鳥居をくぐる事が出来ました。そこでみんなで写真を撮りました。でも、靴が海草などで汚れてしまいました。その後帰りの途中その写真を見たら、僕たちの後ろにだけ、僕たちのリーダーに似た人が本当はいないのに、写っていました。なぜだろう?

「平清盛の凄さ」
今日は、広島に上陸しました。昨日の午後5時には、宇品港に着岸していましたが、上陸するのは初めてでした。
宮島は、鹿が有名です。宮島に着いたのと同時にお出迎えしてくれました。最初は、誰かが飼っているのかと思っていましたが、街の注意を書いた看板を見ているうちに野生の鹿だと分りましたたくさんいたので、ここは鹿の聖地なのかなと思いました。
1番心に残ったことは、厳島神社へ行ったことです。柱などが全部赤色だったので、赤い物をこれだけたくさん塗るのは大変なことだと思うので平清盛はとてもお金持ちだったのだなと思いました。お風呂に入り終わった後には、潮が引いて大鳥居も見られたのでよかったです。

5日目 6月5日(日)

寄港地:宇品港
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かめりあ丸からの連絡

6月5日(日) 5日目 (午後5時現在)

天候: 晴れ。
午前の活動: 洋上授業3科目を実施。
午後の活動: 洋上クラブ活動を実施。
夕方、予定通り広島宇品港に入港。
児童の様子: 全員元気。
波の様子: 穏やか。

洋上だより

船内活動
洋上授業
「覚えた時の充実感」
今日は、洋上授業の三時間目で手旗信号を習いました。
授業の内容は15個の数字の原型を覚え、カタカナなどを信号として通信する練習をすることでした。原型を覚えることが大変だったので、カタカナの形を覚えるのは大変だったけれど、覚えた時の満足感と充実感は大きかったので、手旗信号を習えて良かったです。 二・三時間目の間には、影だけしか見られなかったけれど、野生のイルカを見ることができました。みんなは飛び魚も見られたそうですが、僕は見られませんでした。

洋上クラブ
「釣りクラブを終えて」
僕の洋上クラブは、釣りクラブです。今まで種子島と福江島の港で釣りをしました。今回は、その二回の釣りの日誌を書きました。書いたことは釣りに使った道具と釣った魚の数などです。それを書いた後ひもとひもをむすんだり、ひもとしかけを結ぶ練習をしました。難しかったけど、できてよかったです。
釣りクラブでわかった釣りのコツは、魚の高さにえさの高さをあわせること、サビキを入れてから上下に振ってえさを落とすこと、魚が集まっている時に、竿をあげるタイミングを間違えないことです。思ったより釣れたので、とても楽しかったです。

「遠くても通じ合える」
今日クラブ活動がありました。私は手旗クラブです。手旗を使うと、声が届かなくても赤と白の2本の旗で相手と話すことができます。0~14の原型があって、文字は0~14のどれかを、組み合わせます。ちなみに「ア」は9→3です。
私たちは最後の日にかめりあ丸のトップデッキで「ただいま」とやるので見てください。
いろいろな文字を覚えて帰りたいです。
声が通じなくても話し合えるのはすごいと思います。

航海日誌
「手旗で伝える」
今日の午前中は、洋上授業でした。今日の時間割は、僕たち8グループは手旗信号、ロープワーク、仕事場めぐりという内容でした。ぼくが楽しみにしていたのは、手旗信号の授業です。理由は、言葉以外で物事を伝えるということが楽しみだったからです。やってみると、やり方を覚えるのが大変だったけれど、とても楽しかったです。

「洋上クラブ in 機関室」
今日は、船の上で洋上授業とクラブ活動をしました。僕のクラブは、機関士見習いクラブでした。機関室は暑く、機関士の方々は暑いのに長い時間働いてすごいなあと思いました。機関士見習いクラブは、機関室でコンセントと、スイッチと、導線を使って電灯を作ります。この、電灯はスイッチを押すと電球が、灯くという仕組みです。電灯を作るときネジが小さかったので。難しかったです。でも、良い経験になりました。

4日目 6月4日(土)

寄港地:福江港
地図

かめりあ丸からの連絡

6月4日(土) 4日目 (午後5時現在)

福江の天候: 快晴。暖かい27℃。
午前の活動: 予定通り福江港入港。木村後援会長と合流。
教会訪問と凧上げを楽しむ。
凧は全部上がったが2つほど糸が切れ東シナ海に消えた。
午後の活動: コースに分かれて福江島の散策。
釣りクラブの釣りは、今日も大漁。
児童の様子: 全員元気。
波の様子: 穏やか。

洋上だより

寄港地での活動
堂崎天主堂
「カトリック」
洋上小学校4日目。今日の上陸地は長崎県の福江島でした。福江島では、教会巡りをしました。その中の堂埼天主堂では神父さんにお話をして頂きました。堂埼天主堂は普段では資料館ですが日曜日はミサという礼拝をしている教会です。そこはカトリックと言う青山とは違う宗派を信じています。神父さんのお話はカトリックの日本への伝わり方のお話でした。教会でのお話は良い経験になりました。

福江の教会
「楠原、水の浦」
今日の福江島上陸では、主に教会めぐりをしました。まず、最初に向かったのは、楠原教会です。楠原教会は、100年もの歴史のある教会で、レンガ造りでした。ミサという、キリストの教えを再現したものを行う事もあるそうです。もう一つは、水の浦教会です。こちらは、楠原とちがい、真っ白な造りです。でも、中の造りは、楠原とほとんど一緒でした。今回の教会めぐりではキリスト教の歴史にふれられてよかったです。

凧揚げ
「遙か彼方へ」
今日は、福江島に上陸し、一番楽しかったのは、凧揚げでした。
僕のグループでは、凧の骨が折れ、糸も切れました。
それどころか、凧が、福江島の広い空の彼方へ、消えてしまいました。
凧が飛んでいってしまったという、忘れないような思い出ができました。

「大空の凧」
今日、鬼岳でばらもんだこを上げました。私のグループは、2回目ぐらいで上がりさらに1番に上がって1番長く上がりました。すごく風があって強い力で引っ張ってきました。私のグループは、みんな上手いので一人ずつ交代で上げました。少し落ちてもすぐ上がってきたりして最強です。作っているときは心配だったけど一番上手く飛んで良かったです。

航海日誌
「とんだけど・・・」
今日は、福江島に上陸しました。そして、鬼岳で凧を上げました。僕のチームは最初よく上がりました。とてもうれしかったです。だけど、その後他のチームの凧とぶつかってからまりながら落ちました。そしたら、当たった相手の凧が少し壊れました。
その後僕達の凧はよく飛んでいたけどお弁当を食べる時間がなくなってしまいました。

「最後の海釣り」
今日は、福江島に上陸しました。僕は、釣りクラブなので洋上小学校最後の海釣りをしました。
釣れた魚は、ネンブツダイ・サバ・ボラなどでした。僕は、合わせて30匹位釣りました。昨日よりも多くて大満足でした。夕食で、昨日と同じように、揚げ物として食べました。昨日よりも多く釣ったので、おいしさも増して良かったです。

「凧揚げ」
今日は、とても楽しみな日でした。何故かというと、凧揚げをする日だからです。私のグループは、3回目でようやく上がりました。途中で2グループの凧と絡まってしまい、私達の凧が破れてしまいました。

「たくさん釣るぞ」
昨日は、福江島沖でイカ釣りをしました。本当は、4人グループだったけど、体調不良の人がいて3人になってしまいました。私のグループは、すぐにつり糸がからまってしまいました。そして、ほどくのに、十分ぐらいとられてしまいました。そのせいで、ぜんぜんつれませんでした。結果は、杏組0はい、桜組0はい、梅組2はい、桃組0はい、リーダー組1ぱいでした。8日目に熊野沖で、2回目のイカ釣りがあるのでがんばりたいです。

3日目 6月3日(金)

寄港地:西之表港
地図

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6月3日(金) 3日目 (午後5時現在)

種子島の天候: 小雨。
午前の活動: 午前8時前に種子島西之表港入港。
下船後、種子島銃の試射デモンストレーションに迎えられる。
宇宙科学技術館で宇宙センターを見学。
午後の活動: 種子島氏の家や鉄砲館などを見学。お土産買いを楽しむ。
釣りクラブの釣りは大漁。
児童の様子: 朝、軽い船酔いは数名いたが、上陸後は全員元気。
波の様子: 穏やか。

洋上だより

上陸地
「鉄砲館」
今日は種子島に上陸しました。
鉄砲館には、日本の銃と西洋の銃が97丁保管されています。西洋の銃と日本の銃の違いは、打ったときに銃の持ち手を、ほおにつけるか脇に挟むかです。西洋のほうが、弾丸のぶれが少ないので好まれています。ちなみに坂本龍馬が使用していた銃も西洋の銃です。
種子島は、日本初の鉄砲伝来の地なので、鉄砲館に行くことができてよかったです。

「1・2・3ブバヮァーン」
今日は、種子島に上陸しました。そこで、おじさんたちが火縄銃の実射を見せてくれました。1回目は5人全員でやりました。ものすごい音で地響きがして耳に穴が開くほどでした。今日は鉄の玉ではなくティッシュを詰めて打ちました。そして2回目は3秒おきぐらいで3回目は16秒置きぐらいに打ってくれました。最初はうるさく感じたけど、最後の方は慣れました。
めったに聞いたり見たりできない火縄銃の実射を見ることができて良かったです。

「ロケットのオレンジはペンキではなかった?!」
今日は、種子島に行きました。一番心に残ったのが、宇宙センターで本物のロケットを間近で見られたことです。実際に見てみると、予想より太くて長かったです。
今日初めて知った事は、ロケットのオレンジ色はペンキではなく、断熱材だということです。断熱材が時間がたつにつれてオレンジ色になるのです。豆知識をひとつ覚えました。

船内活動
水圧実験「何m沈めると…」
今日の午後は、水圧実験を行いました。水圧実験というのは、いろいろなものを海に沈めていき、引き上げたとき物の形はどうなっているのか?ということを調べる実験です。まず最初に、ジュース缶、ゆで卵、ピンポン玉などを、10m、20m、30m、と10mごとに100mまで降ろしていき、引き上げました。すると一見、堅そうな「光る棒」やジュース缶は100mまで持たず、100mの水圧に耐えたのはなんと、水風船でした。この水圧実験で、水圧の力を知ることができてよかったです。

航海日誌
「釣りのキセキ」
今日は種子島で釣りクラブで釣りをしました。友達は「あまり釣れない」と言っていたので釣れるかが心配でした。でも百匹以上釣れました。僕は5匹で他の人は多くて40匹くらいでした。そんなに釣れたのは、小魚の群れが5,6回通ったからです。中には、えさなしで釣っている人もいました。明日もたくさん釣れるといいです。

「祈り」
洋上小学校3日目。今日は鉄砲伝来の島、種子島に行きました。この種子島で僕が心に残ったのは「月窓亭」です。月窓亭では、最初に茶菓子と温かいお茶をもらいました。美味しかったです。その後、水、木、正月のお祈りを見せてもらいました。お祈りの時、言っていた言葉が方言なまりで良いと思いました。その後も民話を聞いたり、手裏剣を草で作ったりして楽しかったです。良い体験ができました。

2日目 6月2日(木)

寄港地:高知港
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6月2日(木) 2日目 (午後5時30分現在)

高知の天候: うす曇り、暖かく半袖でよいほど。
午前の活動: 洋上授業(船内)
午後の活動: 予定通り12時に高知港入港。
上陸後、昼食はカツオ料理を楽しむ。
午後は高知市内のフィールドワーク。
児童の様子: 朝は軽い船酔いで30名ほど朝食を食べられず。
      高知上陸後は全員元気。
波の様子: 昨夜は、多少のうねり。高知に近づくと穏やかになった。

洋上だより

2日目の活動
寄港地「待ちに待った高知上陸」
「高知だあ。」
今日僕たちは、洋上小学校で初めての上陸地である高知県に上陸しました。竹芝桟橋から長い間航海したので、その分楽しみも増えたので良かったです。
高知観光の中で1番心に残ったことは、料亭「司」で鰹料理を食べたことです。コロッケやたたきなどがとてもおいしかったので、この美味しさは、待ちに待ったからこその味だと思いました。

寄港地「皮ならなんでも」
高知の中で一番心に残ったのは、木曜市です。
木曜市は、地元の人や農家の人達が、自分の作った食べ物などを売っている市場です。
その中で一番美味しかったのは、焼き鶏の皮です。理由は、タレの皮であれば、なんでも美味しいからです。
今日食べた皮の味は、忘れない味だと思います。

洋上授業「ぼくの好きな場所」
洋上授業では、ロープワーク、手旗信号など船の上の仕事の見学や体験をします。どれも陸ではできない事ばかりです。ぼくは仕事見学が好きです。でも見にいったのは、いろいろな機械があるとても暑くてしかもうるさい機関室という部屋でした。ぼくたちの船で働いている人も苦労している事がわかって勉強になりました。

洋上授業 「船員さんのお仕事」
今日は、洋上授業がありました。私のグループは、最初の授業は、「仕事場めぐり」でした。機関室は、ものすごくうるさくて、暑かったです。次は、ワッチです。ワッチでは、レーダーで、障害物をよけたり、船をよけたりします。最後は、船速側定です。船速側定では、木の棒を使って、船の速さを調べました。私は、タイムキーパーなので、オレンジ色の木の棒が来たら、ストップします。私は、計算するのが、大変でした。

航海日誌
「やっぱり陸はいいな」
「遅くなあい?」高知港にかめりあ丸が着岸する時すごくゆっくり長い時間をかけて着きました。高知城や木曜市に行ったりお土産を買ったりしました。
高知城では階段がすごく多くて大変でした。木曜市では、私が思っていたのと違い、野菜ばっかりでした。あと私は、1年生の為に「はりま屋」というお店で柚子飴と、柚子のキーホルダーを買いました。
久しぶりに上陸したら、陸酔いしました。次の上陸が楽しみです。

「やっぱ本場」
洋上小学校2日目。高知に到着しました。高知といえば……カツオ。カツオ料理の「司」という店でカツオのたたきや、カツオのコロッケ等を食べました。
僕は、東京でスーパーに売っていたカツオを食べていたので、食べ比べをしてみました。
結果…本場高知のほうが数十倍、いや、数百倍おいしかったです。

「名物のカツオ」
今日の上陸地は、高知県です。ぼく達は、歓迎セレモニーを行って頂いた後、路面電車に乗って、はりまや橋という名所を見に行きました。はりまや橋は、思ったより小さかったです。その後、「司」というお店に昼食を食べに行きました。三階に上がると、「うわあ」沢山のカツオ料理が、並んでいました。カツオのたたき、コロッケなどです。
どれもとても美味しく頂きました。高知の名物、カツオを沢山頂けて良かったです。

1日目 6月1日(水)

出発:竹芝桟橋
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6月1日(水) 第1日目 (午後7時現在)

出航式: 予定通りで、気分の悪くなる子はいなかった。歌も元気よく歌えた。
天候: 曇り、風が肌寒い。
午後の活動: 昼食の出航パーティーでは全員よく食べた。
避難訓練は無事終了。
洋上授業でたこ作りを行い、たこを完成させた。
児童の様子: 軽い船酔い若干名あり(夕食時)
波の様子: 遠州灘に入り、多少のうねりあり。

洋上だより

1日目の活動
「出航式」
出航式では、最初「未知という名の船に乗り」という名前の詩をみんなで暗唱しました。その後は、礼拝を守りました。キャプテンや校長先生などがお話をされました。そして、校旗を掲揚しました。最後校歌を歌い「いかりをあげて」をリコーダーで吹きました。これからの海の生活も慣れていくといいです。

「出航パーティー」
洋上小学校で初めての食事。それは出航パーティーです。テーブルにはサンドウィッチ、にぎり寿司、エビフライ、ナゲット、フライドポテト、骨付きチキン、ウィンナー、サラミ、フルーツ等がならびます。食事がスタートすると一斉にみんなが、食べ物に吸い寄せられていきます。その姿はまさにセール品を「私のものよ」と言っているかのようでした。みんなが食べたくなるということはおいしいということです。おいしい食事を作ってくださった司厨士の方々に感謝したいです。これからも、おいしい食事をお願いします。

「避難訓練」
「プーーーンプーーーン」という音が鳴って避難訓練が始まりました。救命胴衣を着て出航式をした場所に集まりました最初すごく戸惑いました。ひもは全部で3本あります。船員さんが、ちゃんとした着方を教えてくれました。着たり脱いだりいろいろ練習して、最後はたたみ方を教わりました。1番下の長い紐で救命胴衣をまとめました。訓練はしたけど、本当に避難するような事にはならないといいです。

「たこ作り」
今日の午後は、福江島で飛ばす、凧の仕上げをしました。
まず、竹ひごを凧に付けました。三段重ねになってしまったので、のり付けが、大変でした。最後の方に、和紙をもらって、三段がさねの所に、はりました。
次に、ひもを通しました。私は、反りの深さが、10㎝という事が、分かりませんでした。でも、10グループの人たちが教えてくれました。私のグループの凧は鳥の絵です。ちゃんと飛んだらいいなあ。

航海日誌
『今日は、洋上小学校が始まりました。
午前中で1番心に残った事は、テープを投げて、1年生と僕のお母さんにテープをとって貰ったことです。
僕は、最初に力み過ぎて天井にぶつけてしまいました。でも、最終的にはテープが2つに破れて、1年生と僕のお母さんの両方に取ってもらえたので嬉しかったです。
このテープがあれば、洋上のことが思い出せると思うので、大事に取っておきたいです』

『今日はいよいよ、待ちに待った洋上小学校の当日です。
ぼくがとても楽しみにしていた事は、1年生との船内探検です。出航式が終わり、時間になると、パートナーの高松孝之介君を迎えに行きました。まず最初に行った所は、操舵室です。高松君は、とてもうれしかったのか無邪気にはしゃいでいました。
しかし、お別れの時間になると、とても悲しい顔をしていました。でも、最後のテープ投げの時には、笑顔で「行ってきます」と言ってくれたので、うれしかったです』

『洋上小学校の校舎(かめりあ丸)の中でお気に入りの場所は、ブリッジです。
そのブリッジの中は、メーターや、レバーや、大きい方位磁針、スイッチ。その中はまるで秘密基地のようです。そんな中で僕の一番のお気に入りは「海の地図」海図です。その理由は、僕は、地図が好きだからです。
また明日もブリッジに行って、新しい物を発見したいです』

今回の洋上小学校について

初等部長のごあいさつ

洋上小学校の目的は、海に囲まれた島国日本を外から見つめることです。日本の持っている力、美しさに気づくことです。それが一人一人の足下を見つめることになり、自分を見つめることになります。そうやって、自分の大切さに気づかせたいのです。

今回の震災から、自然とは何かを考えさせられる機会を与えられました。震災直後には、言葉も壊れて押し流されてしまいました。感情が真空になっていました。しかし、今は少し余裕が生まれ、様々な言葉、感情がせめぎ合い、収拾がつかないくらいになりました。

4月の初め、「洋上小学校をやるのですか」という質問を6年の先生から受けました。まだまだ、世論は被災した人たちに心を合わせ、喪に服すべきだという意見が多かった時です。私は、答えました。やるかやらないかの議論でなく、どうしたらできるかを話し合って欲しいと。洋上小学校は、「派手なことをする・している」と見られがちです。そうではありません。自分を大切にできる人は、他の人をも大切にできます。だから、洋上小学校は子ども達にとって必要な行事なのです。

目の前にいる子どもの目線で考える。大人の都合で考えない。そもそも何のために洋上小学校は作られたのか。もう一度原点に立ち返る時がきました。この洋上小学校は、保護者の皆様ご理解と、先生たちの不断の努力で続けてきました。そして、初等部の子どもたち、卒業生に「自分を大切にする」というメッセージを送り続けています。今年の6年生の子ども達にも、洋上小学校で「自分」という存在の大切さに出合ってきてほしいと願っています。

青山学院初等部 部長 島根 照夫

校長のごあいさつ

主は与え、主は奪う――ヨブ記が描く旧約聖書の世界が、こんなにも間近に迫って感じられたことはありませんでした。
家や学校、愛する人々、そこにあった光景の全てが失われ、奪われた東日本大震災。"日常生活"が、いかに多くのもので成り立っているかを、わたし達は考えさせられました。それが本当に必要なものかどうかを、選び取っていかなければならないと、多くの人が考えたことでしょう。

洋上小学校に行く"必要がある"。私たち自身がそう確信することなしに、子ども達と一緒に大海原に漕ぎ出すことはできないと思いました。「洋上小学校の目的」を何度も読み直しました。「自然の美しさと力強さに触れ、恐れ敬う気持ちを持つ」「様々な人と出会い、他者を通して新しい自分に出会い、かけがえのない自分の大切さに気づく」2011年の3月11日を経たわたし達だからこそ、この目的を達成しなければならないはずです。37回目の洋上小学校の準備は、こうして始まりました。

目の前に海が広がる海の中を船が進み、その先に大地がある。宇宙に出かけたロケットが何年もかけて戻ってくるようになったけれど、目の前に広がった海は、こんなに広い――かめりあ丸で過ごす9日間を経て、6年生の一人ひとりが、目的を達成していくことでしょう。

今年は、高知、種子島、福江島、広島、熊野に寄港する予定です。空気や水、食物にさえ不安を感じる毎日にあって、子ども達を送り出して下さった保護者の皆様、見えるところ、見えないところでこの行事を支えて下さっている全ての方に感謝します。そして、その全てを与えてくださる神様に感謝して、行ってまいります。

第37回 洋上小学校校長 吉野かおり

シンボルについて

第37回洋上小学校シンボル

第37回洋上小学校のシンボルマーク決定

応募作品の中から学年教務会の選考の結果、左の作品が最優秀作品に選ばれました。作者である児童の、作品作成の思いを紹介します。

マークはどのように考えたかというと、僕は普段からサッカーチームのエンブレムを書くのが好きなので、洋上小学校のシンボルマークもエンブレムの形にしました。
そして最後にリボンをかけて、第37回の37と2011年を描きました。
今回の洋上小学校のシンボルマークに僕のが選ばれてとてもうれしかったです。